規制反対は絶望的なのか?
「筆不精の雑彙」を読んで気づいたことを少しずつ書いてみようと思います。
ネットの影響力についての話において気になることが。
荻上チキ氏は2ちゃんねるの工作員の影響について「ない」と、あっさりと否定したようです。
ネットの影響力って低いんですね… あまりに過大評価されているんですね…
論理で勝っても感情には働きかけられない。世評・世論を見方につけられない、絶望的に。何なら、反社会分子扱いさえされかねない。「声高にやることが必ずしもよいことばかりではない」という戦略・戦術上の機微は分かる。分かるが、何でそこまでフラストレーションを溜めさせられなければならないのかという感情は抑えられない。規制推進派の「だってお前らキモい」を解消させられないように。
規制推進運動は利権と結びつき運動体そのものが基金なんかを募ることで打出の小槌だが、カネになる規制反対運動なんてそうそうない。
というのも、表現規制反対派がいかに絶望の淵に立たされているのかよく分かります。
所詮、世の中カネか!
ホリエモンは「お金で買えない物はない」とぬけぬけと言ってたもんな!
表現規制に反対するには、やはり、意見広告しかないのか?
資金はどうするのか? やはりカンパか?
誰が音頭を取る? AMIか? MIAUか? コミックマーケット準備会か?
ネームバリューがある人に名前をどう連ねてもらえばいいのだろうか?
保守論客でオタクに最も親和的(?)な、すぎやまこういち氏は
表現規制問題に関してどうお考えなのだろうか?
市民活動家はどううごいてくれるのだろうか?
やはり表現規制反対は絶望の淵に立たされているのだろうか…
他にも、話題があります。
民主党の吉田泉衆議院議員が、児童ポルノ法改正の問題点について質問したことが、
id:kamayanさんやid:bulletさんが紹介されていました。
ちなみに、吉田氏は保守派で"The Facts"の賛同者に名前を連ねるなど、
本来であればkamayanさんとは相容れない思想信条のようですが、
チャーチルが「もしヒトラーが地獄を侵略すれば、私は悪魔に好意的な発言をするであろう」*1と
言ったように、利害関係が一致するのであればどんな人とでも団結する必要があるということなのかもしれません。
あるいは、プロ市民を目指すしか術がないのかもしれません。
最後に、面白い話が多い荻上チキ語録をどうぞ
これ(学校裏サイト)を専門家などが問題と言いだし、メディアが報じることによって広まる。こういうことはよくあること。断片的な情報が流れて、それが象徴的意味を帯び、政治的意味を帯びる
メディアリテラシーを万人に与えることは出来ないが、仮に出来たとしてもうまくいくわけではない。単に事実を並べてリテラシーを育ててもダメ。
結局声を上げて説得、ロビイングするしかない。ブログで議論をしてもあまり意味はないが、ガイドライン、情報の共有の意味はある。ただしそれ以前に『これはひどい』とタグをつけられて炎上してしまうこともある。ネットについては一時期ずいぶんと夢が語られたが、ネット世代はもう日常になっているので、ネットに対しても結局は人間がやることなのだと醒めている。ネットに対しては過大な期待をしない方が良い
ネット規制に対しては、攻撃する側の方が有利
結局、ネットの影響は大したことがない
(議論について)ブログのコメント欄で丁寧に応対するのも一つの主義としてはいいが、運動論としてはアウト
参考URL
http://bokukoui.exblog.jp/7975542/
http://bokukoui.exblog.jp/7978350/
http://bokukoui.exblog.jp/7979527/
http://bokukoui.exblog.jp/7990262/
http://d.hatena.ne.jp/bullet/20080502
http://d.hatena.ne.jp/azumi_s/20080502/1209657047
http://d.hatena.ne.jp/bullet/20080417
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20080425#1209066028