表現規制阻止の妙案(その1) 人権擁護法案反対論の振り返り
私がずっと持論として考え、頻繁にこのブログで書いてきた
「表現規制派は、日本が誇るマンガやアニメ文化を中韓に売り渡す売国奴!!」
などという言説を保守派の間で広めることは表現規制を阻止することに
有効ではないかというアイデアがありますが、そのアイデアは人権擁護法案の
問題が元ネタになっています。
その背景について、まずは人権擁護法案の顛末から順を追って説明したいと思います。
人権擁護法案は2002年に提出の動きがありましたが、マスメディアやジャーナリスト、
文化人、市民団体から「メディア規制法案」として、大々的な反対キャンペーンが
展開され、テレビや新聞でも頻繁に取り上げられました。
その年の通常国会に提出されましたが、猛烈な反対キャンペーンもあり、
審議未了のまま衆議院解散により廃案になりました。
再提出の動きがあった2005年に日本新聞協会と日本民間放送連盟が
人権擁護法案について、
政府は一昨年廃案になった人権擁護法案を一部修正の上、今国会に提出することを準備している。われわれは旧法案に対し、「報道による人権侵害」を「差別」「虐待」と同列に並べ「特別救済」の対象としたことは極めて遺憾であり、いわゆる「過剰な取材」を名目に政府による報道への不当な干渉につながりかねないと主張してきた。こうした批判は報道機関だけでなく国民の間からも強く、結局廃案になった経緯がある。
政府が提出を準備している法案ではこの“メディア規制条項”を「凍結」している。しかし、「凍結」では、立法措置を経るとはいえ、いつでも解除が可能であり、メディア規制の本質は何ら変わっていない。われわれは到底容認できず、この条項を断固削除すべきと考えている。
と声明を発表していることから、本来であればメディア規制条項を完全に削除するなど
ちょこざいな修正をしてメディア側を納得さえさせれば、メディアを黙らせることができ、
法案は修正の上で成立したであろうと推測します。
(法案の内容が良いか悪いかは、ここでは全くの別問題ですが…)
ところが、2005年春に保守派を中心に新たな反対論が台頭した結果、人権擁護法案は葬り去られました。
今までの反対論では、メディア規制という観点のものが中心でしたが、
新たな反対論は、「人権侵害の定義が曖昧で、人権委員会により恣意的に運用されるおそれがある」、
「国籍条項がないので人権擁護委員会に外国人でもなることができる」、
「人権委員会に『人権侵害』と見なされれば、令状なしで出頭要請や立ち入り検査を受ける」
などといったものであり、それが派生した結果、
「北朝鮮や中国などに不都合な言論が『人権侵害』と見なされ弾圧される」、
「市民団体が『人権侵害』だと言いがかりをつけたら、それがまかり通ってしまう」、
などという反対論が保守派を中心に台頭した結果、自民党は紛糾し提出は断念されました。
「マスゴミざまあみろ」とマスメディア側の反対論に対し、冷ややかに見ていた人間の中にも、
これらの反対論を見て、反対に転向した人も少なくありません。
ネット上では「人権擁護法案で『人権侵害』と見なされると逮捕される」というデマも流れ、
今では逮捕されるという話は収束していますが、中川昭一氏はいまだに信じている模様です。
郵政解散後に再提出が検討されたものの見送られ、人権擁護法案反対派の安倍晋三氏をはさみ
福田康夫氏が内閣総理大臣になり、人権擁護法案再提出の動きがありましたが、
保守派が息を吹き返したように反対キャンペーンを再燃させ、その結果、
人権擁護法案は法案をまとめることすらできませんでした。
人権擁護法案反対論は、半ば永久機関と化しておりこのような反対論が
存在する限り、少なくとも自民党政権が続く限り、提出は事実上不可能であり、
仮に民主党政権になっても、保守系の文化人やジャーナリストが激しく騒ぎ立て、
野党となった自民党が(推進派も加わった上で)問題点について徹底的に追及するので
提出は極めて困難になるでしょう。
「青少年ネット規制法」反対運動に必要なのは正しさなんかじゃなくて
私が4月に紹介したこのエントリーでは、青少年ネット規制法に反対するための運動論の
一つとして、人権擁護法案の時と同様に、ヒステリックな空気を醸成して葬り去るという
アイデアを提示しています。
このアイデアには、id:bewaadさんやid:krhghsさんから反論が出ています。
おそらく、id:tgtoeiamさんもお二人と同様のお考えだと推測します。
id:krhghsさんは
それよりも、突っ込みポイントは「人権擁護法案は正しいとは言い難いヒステリックな意見で潰された」という部分ではないかと。ヒステリックな意見として「人権擁護委員が秘密警察になる!」とか「在日が日本を支配する!」等が挙げられてますが、確かにこういう意見があったにはせよ(そして一部のおバカな国会議員がそれに同調したにせよ)、法案潰しにこういう意見が貢献したとはあまり思えません。禁止行為の定義や人権委員会の権限の範囲に関する反対意見はきちんと存在していましたし、マスコミが反対に回ったことも大きかった。自民党内部の勢力争いがこの法案の帰趨に大きく影響したことも見逃してはならないでしょう。
とおっしゃっていましたが、新聞協会と民放連の声明にはメディア規制条項しか
言及されていません。保守派以外にも人権侵害の定義の曖昧さを指摘するメディアは
あるにはありましたが、目立ちませんでした。
自民党の勢力争いは無関係ではないと思いますが、その勢力争いは人権擁護法案によって
噴出したものであり、「ヒステリックな意見」によるものでしょう。
(http://d.hatena.ne.jp/slpolient/20080418/1208512201 もご参照ください。)
よって、保守派を中心にヒステリックな空気を醸成させれば、理論上はどんな法案でも
葬り去ることができるのではないかというのが私の考えです。
そのキーワードとなるのが、「売国」「国賊」「反日」だと私は考えております。
私のこの持論は今までにもさんざん書いてきたことですので、
もしお時間があるのでしたら、過去ログをご覧になっていただけたら幸いです。
次回以降では、その応用論について書いていこうと思います。
[続く]