表現規制反対論の落とし穴その1 法の不遡及論
さて、児童ポルノ法改定反対の署名の第一次集計が始ったそうですが、
ふと思ったのですが、論理というものには落とし穴がつきものだと思うんですね…
表現規制論に対して、論理的に反論していく際の落とし穴をいくつか取り上げていきたいと思います。
まずは、「単純所持禁止は法の不遡及に反する」という主張の問題点について考察します。
法の不遡及に関する事例をご覧ください。
法の不遡及についてしばしば引き合いに出されるものの一つに、極東国際軍事裁判(東京裁判)があります。
1946年(昭和21年)1月19日に降伏文書およびポツダム宣言の第10項を受けて、極東国際軍事裁判所条例(極東国際軍事裁判所憲章)が定められ、1946年(昭和21年)4月26日の一部改正の後、市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂にて裁判が行われた。
wikipedia:極東国際軍事裁判より 太字は引用者による
と書かれています。日本が降伏文書に調印したのは1945年9月2日なので、東京裁判が事後法で行われたという
ことになります。よって、東京裁判は法の不遡及に反するという主張は十分に成り立ちます。
戦争犯罪とされる行為が断罪されるべきかどうかと法の見地から処罰されるべきかというのは全くの別問題です。
では、児童ポルノ法改定反対論の場合はどうでしょうか。
単純所持が施行されれば、摘発されないためには「児童ポルノ」と見なされかねないものを
処分しなければなりません。単純所持禁止施行以前に入手した児童ポルノももちろん処罰の対象になるからです。
なぜなら、(良いか悪いかは別として)そうしない限り、ザル法になってしまい全く機能しないからです。
それをもって、単純所持禁止は法の不遡及に反するという主張がなされていると思われますが、
では、次の例はいかがでしょうか。
ある大地主の家には、障害者がいて、大地主の手より座敷牢に監禁されていました。
障害者が座敷牢に入れられた当時は、座敷牢に監禁する行為は違法ではありませんでしたが、
障害者が監禁されている間に、その行為が違法化され処罰の対象となりました。
この場合、大地主は処罰の対象となるでしょうか?
もちろん、処罰の対象となるでしょう。違法になる前から継続して違法行為を行っていたら
処罰の対象となります。ただし、量刑などの判断材料となるのは違法になった日から監禁が終了するまでの
期間で判断されるでしょう。
単純所持反対論と同じロジックであれば大地主は全く罪に問われないことになりますが、
納得できるでしょうか。
できませんよね?
それを単純所持禁止に当てはめると、当然改定法施行施行以前から継続して持っていた
児童ポルノは処罰の対象となります。
良いか悪いかは別として、これが法律論の現実ではないかと思います。
よって、単純所持禁止に反対する際に、法の不遡及を持ち出すのは筋違いだと思います。
論理的に反対論を訴えるのであれば、用いるべきではないと考えております。
東京裁判や親日反民族特別法などを批判する際にしばしば引き合いに出していることから、*1
「法の不遡及」という言葉で保守派を食いつかせることができるのではないかと思っていたのですが、
冷静に考えれば大間違いだったので、個人的に残念です。
しかし、これが現実です。
単純所持禁止に反対する際に法の不遡及を引き合いに出すのは不適切ですのでご注意ください。
[続く]
*1:私もそれらの批判にはほぼ同意しますが