なぜ、規制反対論に保守派を利用しようと思ったか
この記事は昨日の記事、かれこれ、「児童ポルノ法問題についての話題」の続きです。
今までに何度も何度も事あるごとにしつこく書いてしまって申し訳ないのですが、
私は「日本が乗っ取られる!!!」などと煽って、一部の保守派を騒ぎ立たせることによって
児童ポルノ法の「改悪」を阻止できるのではないかと思っています。
なぜ、そのような考えに至ったかという経緯を話す必要があると思いましたので、お話しします。
規制推進派に正論は通じない。
私は、規制論に対抗していく上でどうにか論理的に反論できないものかを考えました。
まず、少年犯罪や性犯罪は減少している、犯罪と創作物などの因果関係は証明できない。
という客観的なデータをもって、規制推進派に反論する。しかし、彼ら彼女らがこれを受け入れるだろうか?
そんな馬鹿なことはない! いくら正論を並べたとしても考えを変えさせることは不可能である。
逆に、もし規制推進派の言い分が完璧な正論で、反対派の言い分が全くトンチンカンだったとする。
その場合でも、規制推進派がどんなに正論を言ったとしても、我々規制反対派にはまったく通用しないでしょう!
と学会会長の山本弘氏はこう指摘します。
僕自身は加古沢*1と違い、こういう議論に加わりたくはない。やたらに手間がかかる割に、決着がつかないことが明白だからだ。結論が出ないからではない。結論はすでに明白なのに、負けている側が負けを認めず、つまらない反論を次から次に持ち出してずるずると引き延ばすので終わらないのだ。
(中略)さんざんトンデモさんと議論してきて、彼らの頑固さを見てきた僕としては、終わらない議論に関わって、貴重な人生の残り時間を無駄に潰したくはない。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin00.htm
だから「山本弘は小説の中の議論では勝てても、現実の議論では勝てないんだろう」と嘲笑されても困るんである。ああ、そりゃ確かに勝てませんとも。「勝つ」という言葉が「相手が負けを認める」という意味なら、トンデモさんとの議論に勝つことは絶対不可能である。
あんまり「トンデモさん」呼ばわりするのは好きではないのですが、推進派はその
「トンデモさん」の属性が非常に強く出ています。どんなに論破しても、打ち負かすことはできないでしょう。
だから、私は論理的手法を用いて論破することをあきらめました。
しかし、論理的反論が通用しないなら、どう対抗していけばいいのか…
そう考えているうちに、ある法案に反対する運動が登場したのです。
人権擁護法案反対論の出現
人権擁護法案。 この法案が最初に問題になったのは、2002年の春だったと思います。
個人情報保護法、青少年有害環境対策基本法案とともに、「メディア規制法」と呼ばれ、
マスコミやジャーナリストらを中心に非常に激しい反対運動が起きました。
もちろん、保守派のジャーナリストらも大勢反対運動に加わりましたが、どちらかといえば
左派的な反対論の方が目立っていました。インターネット上の論調については
あまり覚えていませんが、ネット規制を危惧して反対する勢力と、「ネットは対象外」などと言い、
「マスゴミざまあみろ」的な冷笑的な論調の二つがあったように思います。
結局、人権擁護法案は2003年の衆議院解散により廃案になりました。
しかし、2005年春に再提出の動きが出ると風向きが変わってくるのです。
右派的反対論の出現
2005年春に自民党内で再提出の動きが起こった時、真っ先に反対の狼煙を上げたのは、
保守派の論客でした。産経新聞は西尾幹二氏らの保守派の代表的な論客らを総動員し、
反対論を展開しました。ネット上でも激しい反対運動が起きましたし、
この反響は大きく、保守論壇は反対反対の大合唱となり、大物を含む多くの国会議員も
人権擁護法案反対に動きました。
その一方で、メディア規制法案と呼ばれていた時に比べ、保守系以外のメディアで
反対論が目立たなかったため、メディア規制条項が凍結されたからだとか、創価学会が
バックにいるから反対できないのだとか言われました。
一言二言で保守派的反対論を述べますと、
ということになるでしょうか。あとは、人権委員会の権限があまりにも強すぎる
といった論調でしょう。
結局、このような激しい反対論にあった結果、人権擁護法案の提出は3年半以上たった今でも行われていません。
このような反対論の大部分はヒステリックで、冷静に考えれば納得できるものもいくつかありましたし、*3
「正しい」とは言い難いものも少なくありませんでしたが、いずれにせよ、人権擁護法案が葬り去られたのは事実。
これは事実として受け止めなければなりません。
人権擁護法案を応用しようと思ったわけ
このアイデアを思いついたのは今年になってからです。
青少年ネット規制法の法案が浮上した時に、
自由帳で数学とか物理とか 人権擁護法案反対派はネット規制推進派に利用されたのか
http://hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-150.html
を見て、なぜネット空間上での人権擁護法案反対派は右派左派問わず、ほとんどがネット規制反対派なのに
何で保守派の国会議員はネット規制に賛成できるのだろう? ネット規制法案も本質的には、
人権擁護法案とてんで変わりはないのではないか?と不思議に思ったからです。
ネット規制だって、ネット規制に携わる人間に北朝鮮の人間が入り込んだら、北朝鮮に都合の悪い情報を
抹殺できるのではないかと考えたからです。
規制反対派に左派、リベラル派が多い現実を見て、「左派が騒いでも見向きもしない人でも
右派が騒げば反対に動いてくれるのではないか」と期待しようと思ったからです。
それで初めて自分の考えを書いたのが、「ネット規制を訴えるには、入れ知恵が必要なのでは?」という記事です。
他に、規制反対派は意見広告を出すべきだと言ったり、人権擁護法案と単純所持禁止を並べて比較したりと、
「規制推進派は『国賊』『反日』『売国奴』だ」と言ったらどうか?という持論を何度も述べております。
人権擁護法案反対論を応用し、保守派を人権擁護法案のように「日本が乗っ取られる!!」と
アジることによって、表現規制の動きを阻止できるのではないか。それが私の考えです。
現に二番煎じは成功しています。タイミングが遅すぎて、法案を阻止するまでには至りませんでしたが、
国籍法改定案を審議するのに時間をかけることと、参議院での採決を遅らせることには成功しており、
ある程度の成果を上げているのです。
だから、児童ポルノ法改定問題でもこのアイデアが応用できないものかと考えているのです。
とりあえず、今回はここまで。