ゲームの自主規制はややこしい。

「凌辱系」ゲーム、製造・販売禁止へ


http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4143799.html (Web魚拓)

あまりその文言は使いたくなかったんですが、記事のタイトルにそういう

文言が使われているのだから、私もそのまま使わざるを得ません…


さて、この報道を見る限りでは、例の性暴力ゲームに関する騒動がきっかけで、

自主規制を強化する方向に動いたみたいですね…


私はその手のゲームがなくても困りません。

むしろ無くなった方がいいと思っているぐらいですが、

いきなり発売を全面的に自主規制するとは、極端な感じは否めません。


自主規制団体はもう少し様子を見ると思っていたんですがね…


さて、当該記事のブックマークを見ると、TBSを批判する論調、

自主規制団体*1を弱腰だと非難する論調、

この記事だけを見て騒ぎ立てるべきではないという意見、

逮捕者や公的規制が出てからでは遅いので、適切な対応だとする意見などがありましたが、

一番多いのは自主規制団体(ソフ倫)を批判する論調のように思われます。


しばらく経ったら、ソフ倫とかに電凸する人が出ると思ったら、

ソフ倫メディ倫・TBSに連絡し例の記事の確認を取りました - グラスホッパー レクイエム

http://d.hatena.ne.jp/GET27/20090529/sofurin

の中でid:GET27さんが連絡を取ったら、ソフ倫メディ倫にもTBSから取材は来ておらず

TBS独自の情報筋から信用に足るとしてニュースにしたとのことです。


また、皇帝φ機構-Emperor System Zero-では、このニュースはTBSの捏造だと断定し、

6月2日に行われる予定のソフ倫の会議で問題を話し合い、

自主規制を強化すべきか話し合いをするというのが真相で、開発・販売禁止という

結論に達することはありえないという。


要するに、TBSの飛ばし記事だったということだ。


かくして、またしてもTBSはネットユーザーの怒りを買ったわけです。

自主規制はどうあるべきか

そもそも、自主規制は何のためにあるか。

差別的な表現や、性的な表現などについて抗議を受けないようにするために

行われるのが自主規制です。差別用語と言われる言葉を言い換えるのが

それです。ただし昔、その差別用語が一般的に使われていた場合に言いかえるのは

かえって不適切だと考えられるケースも多くあるため、その場合は

「一部不適切な表現がありますが、作品の芸術性を尊重し発表時のまま掲載します」

などの注釈を付けることにより対処します。

また、これらの自主規制などを批判的に言った言葉が「言葉狩り」です


成人向けメディアにおけるモザイク処理も自主規制です。

その自主規制がなければ、わいせつ物頒布として刑事罰の対象になるからです。

他の自主規制は、そう言うのに詳しくないのでWikipediaあたりで調べてみましたが、

ソフ倫については、サイト中に基準が紹介されてましたので、リンクを貼っておきます。


この手のメディアの自主規制が特殊なのは、何と言っても

政府による規制を予防するという目的があるということなんですよね

これは成人向けの実写作品を扱うビデ倫*2などと比べても

特殊のようです。実写作品の自主規制は局部にモザイク等をかけるといった

規制が中心で内容にまで踏み込んだものは少ないようなのです。


なぜ、ゲームの自主規制が実写ものより特殊なものになったかというと、

宮崎勤事件のあおりで、1991年に成人向けゲームがわいせつ図画販売目的所持で

摘発された事件があり、その事件の影響で成立したのがソフ倫なわけです。

それ以来、業界から逮捕者を出さないようにしようという動きができ、

また、このころ有害コミック問題もあったということもあり、

法的規制を抑止するという役目も果たすことになったわけです。

(それにしても、それ以前は修正に対する規制があまりに緩かったとは知らなかった…)



というわけで、自主規制は表現規制の動きを抑制するための

砦の一つとして機能しているわけです。

しかし、このタイミングで自主規制を強化すると言うと、

「圧力に屈した」と思われる可能性もあります。

現に、はてなブックマークではそのようなコメントも多く見られます。

一度「圧力」に屈すると、なし崩しにどんどん規制強化を許してしまうのではないかと。


しかし、一切自主規制せずに無視しておくと、批判が収拾せずに

やはり、どんどん規制強化を許してしまう恐れがあるという考えがあります。


結局、どちらに転んでも最悪の事態を招く恐れがあるのは確かですから、

どちらの方がまだましかということで判断しなければならないでしょう。

そういう点で非常に難しい問題です。

ドミノ理論も論理的観点から言えば微妙

私たちは、表現規制に反対するときに、次のように言います。

○○が規制されたら、次は△△が規制される。

△△が規制されたら、その次は□□が規制される。

□□が規制されたら、今度は××が規制されるかもしれない。

だから、○○の規制は断固として阻止せねばならない

このロジックは反対派の結束を高めるためには有効です。

その一方で、他の人々に訴えるために使うにはリスクがあると思います。

なぜなら、これはドミノ理論と呼ばれる理論だからです。


ドミノ理論は、ドミノ倒しのドミノが一つ倒れれば隣が倒れ、その隣も倒れ、

そのまた隣も倒れる…とどんどん連鎖的に倒れるてしまうので、

倒れる前に阻止しなければならないという理論です。

実際に起こった出来事はドミノ現象ともいわれます。


このドミノ理論ベトナム戦争アメリカが介入するときに使われた理論です。

ベトナム全土の共産化を許すと、東南アジア各国が次々と共産化するというものです。

結局、南ベトナムの共産化後、新たに共産化する国は出ませんでしたが、

ラオスカンボジア共産主義国家になったため、ベトナム戦争における

ドミノ理論は適切であったのかどうか意見は分かれています。

実際に起こったドミノ現象としては、1960年代のアフリカ各国の独立や、

1990年前後の東欧革命による共産主義政権の崩壊などがあげられるでしょう。


ドミノ理論をきちんとした論理として説明しようとするのであれば、

確率論について論じる必要があるのではないかと思います。

そうでなければ、ドミノ理論は詭弁になってしまうのです。


ドミノ理論は必ずしも詭弁や誤謬ではありませんが、それはドミノ理論

結果として正しいことが証明された時、あるいは確率論についての言及が

しっかりあった時です。

風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がありますが、

実際に風が吹くと桶屋が儲かるでしょうか?


規制反対派は、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な論法を用いて、

何らかの危険性を主張することは、詭弁と隣り合わせであることを

留意しておいた方がいいのではないかと思います。

※補足

もちろん、ドミノ理論は規制推進派も使ってきます。

規制推進派は論理による説得というより、むしろ煽情的なニュアンスの方が

強いのではないかと思います。論理は特に重視されていないのです。

ただ、論理を重視する立場の説得をしようというのであれば、

ドミノ理論を用いることにはそれなりのリスクがあるということです。

*1:具体的な名前は出ていないが、コンピュータソフトウェア倫理機構ソフ倫)だと言われている。なお、id:GET27さんの取材でソフ倫だと確定した。

*2:わいせつ摘発事件を受け、現在は日本映像倫理審査機構に移行