表現規制反対派は幅広い人権意識を持つべき!? -赤木智弘氏の苦言を受けて-
赤木智弘氏のこんな記事が話題になっているので、私も取り上げます。
二次元規制反対派は、アグネス・チャンの人権を守れ!
(中略)
私たちが何のために児ポ法改訂に反対するかと言えば、単純所持や、二次元規制が、子供を含むすべての人の人権を守ることにならないばかりか、問題が単純化されることによって、多くの複雑な問題を見過ごしてしまい、その結果、子供の人権がよりいっそう侵害されることに繋がりかねないという問題があるからだ。
現実問題として、安全安全のためにと称し、子供を集団登下校させて自由を奪い、塾へ行くのも車で送り迎えする結果、ただでさえ失われている地域コミュニティーがさらに加速度的に失われているわけで、そうした中で家庭内や学校内での虐待などの人権侵害が、これまでよりも見えにくくなっている現状がすでにある。
児ポ法問題についても、私たちは、私たち自身が二次元の性的表現を楽しむ権利を守ると同時に、実在児童の人権を守るために児ポ法の安直な改訂を批判しているはずである。
しかし、このところ「アグネス・チャン」という、「中国人」で「女」という、ある種の人々には叩きやすい「敵」が出現してしまった。
http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/archives/1034085.html
その結果、「アグネスさえ批判すればいいんだ」と考えて、アグネスに対する安直なバッシングをもって児ポ法改悪反対という標語を叫ぶ人たちが増えてしまった。
こうした現状を、児ポ法に関心のない人たちがみれば「児ポ法反対を唱えている連中は、中国人バッシングをするだけの気持ちの悪い集団」と考えてもしかたがないだろう。
以前に前田雅英が「児ポ法改正反対派が反対メールや脅迫状を送ってきた」と論じていたが、児ポ法に乗じて中国人バッシングがまかり通る状況を知っている人たちは「やっぱり反対派が人格否定をするようなメールを送ったのだろう」と理解してしまう。
確かに、規制反対派の主張としては、
「単純所持規制や創作物規制は、子供の人権を守ることにはつながらない」
という主張が最も適切な反対論の論拠であるべきだと思います。
いわゆるネット右翼には、中国やフェミニストを嫌悪する向きが強く、
アグネス・チャン氏はその二つに近い属性を持っていますし、*1
APP研、イクオリティ・ナウなども、フェミニスト色が非常に強い団体です。
よって、規制反対派のネット右翼にとっては叩きやすい「敵」です。
それゆえに、赤木氏の言う「中国人バッシング」が罷り通っているのでしょう。
しかし、それでは外から見れば「気持ちの悪い集団」としか映らず、
表現規制反対派にとって、マイナスにしかならないのではないかという考えのようです。
また、アグネス批判の文脈で「中国の方が日本より酷いじゃないか」ということを主張する連中も出てきてしまった。
「中国の方が悪い」という形で、子供の人権問題を理解することは、子供の人権というものを相対化することである。つまり、中国の問題をあげつらって日本の問題を論じることは、「中国の方が悪いのだから、日本はいいのだ」→「中国の方が虐待が多いのだから、日本の虐待は問題ではない」という結論に必ず至る言論なのである。結局、子供の人権を守るどころか、他国をダシにして子供の人権を守らないことを肯定してしまう。
アグネス・チャンの主張を批判するのはいい。しかし、彼女が中国人だからと言って、中国国内の人権侵害問題やチベットの問題を持ち出して「中国人の戯れ言」と見下し、一笑に付し、それで二次元規制に反対しているような態度をとることは、まさに故事成語本来の意味での「助長」である。
私たちのすべきことは、他人の人権を守ることであり、他人の人格を批判することではない。微妙な問題だからこそ、こうした区別はしっかり行う必要がある。
要するに、赤木氏の考えによれば、中国の人権問題を引き合いに出して
日本の人権問題を語ることは、論点のすり替えにすぎないということでしょうか。
そして、それは人権侵害を正当化することにつながりかねないというわけでしょう。
ただ、自分もこの話をダシに保守・右派で規制推進派とは言えない人物を
引き込めないものかと考えたことがありますから、あまりその言説を
批判することはできないんですよね…
昨年アグネスが前面に出るようになってからだったはずですからね…
チベット問題などの中国の問題とからめる言説が台頭してきたのは、
ネット右翼に近しい保守・右派層にうまく訴えていけば、
規制反対派を増やす材料になると今でも私は思っています。
好ましくはないと思いますが。
「中国の方が悪い」ロジックの「中国」を「欧米」に置き換えた言説も
しばしば見かけますが、赤木氏はそれらに対して、どう思っているのでしょうか?
すでに単純所持規制など、日本より厳しい規制が行われている欧米で、
日本より性犯罪などが多いことを槍玉に挙げて、「規制されるとこうなる!!」と
主張する言説についての赤木氏の見解が気になります。
AMIも、「ポルノの性犯罪抑止効果」説は、犯罪とマンガの直接的な関連性は薄い
という規制反対派の主張と矛盾するので使わない方がいいと言ってますからね。
けれども、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉の通り、こうして長く二次元規制に反対してきた人ですら、こうした安直な「ヘイト」を主とする主張に流されてしまう。
ネトウヨ的な定型文を組み合わせた言論は、サイトの更新などにすごく楽ちんで、「まさに他人を批判している!」という快楽を安直に得ることができる。
赤木氏は、ここでは名指しこそしませんが鳥山仁氏でも批判しているのでしょうか。
赤木氏はここでは言及していませんが、規制推進派のAPP研や矯風会と
女性国際戦犯法廷の主催者、VAWW-NETとのつながりが指摘されています。
よって、「規制推進派=反日勢力」という図式に陥りがちな側面があります。*3
ただ、その一方で自民党の保守色が強い政治家に規制推進派が多いのも事実です。*4
よって、「規制推進派=右翼反動勢力」という図式に左派は陥りがちです。
しかし、実際にはそう単純なことではない。
サヨク的な規制推進派とウヨク的な規制推進派が複雑に絡み合っているのが
表現規制問題であって、ウヨサヨ問題で片付けられるほど単純ではない。
しかし、左右ともに自分にとって都合のいいストーリーに飛び付いてしまい
この問題の本質を見失ってしまっている。
「問題が単純化されることによって、多くの複雑な問題を見過ごしてしまっている」
という規制推進派の主張の問題点と同様に、
それは、規制反対派にとってマイナスなのではないかということを
赤木氏は言っているのではないかと感じ取れました。
こうした状況に対して俺から言えるのは「二次元規制反対というのは、人権を守るための主張である。ならば当然アグネス・チャンの人権も守られなければならない」んだと。それだけですよ。
これはシンプルだけど、もっとも重要な点。大人の人権を守れない人が、子供の人権を守れるはずがないでしょ。
確かに、児童ポルノ法改定問題は児童の人権に関わる問題であることが
忘れられているように思います。
(表現の自由も当然、人権の一種ですが。)
表現の自由を守るということは、自分の表現の自由はもちろんのこと、
自分にとって不快な、あるいは不都合な表現の自由も守らざるを得ないのです。
フランスの哲学者、ヴォルテールは次のような言葉を残した。
私はあなたの意見には反対だ、
だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る
屈辱的かもしれませんが、この言葉は表現の自由(特に言論の自由)を守るための
民主主義・自由主義の原則です。
幅広く人権を守る気概がなければ、自分たちの表現の自由を守れないのではないか?
赤木氏の記事からはこのようなメッセージが感じ取れます。