「十万人の宮崎勤」伝説 暫定まとめ

id:lovelovedogさんが取り上げて以降、「十万人の宮崎勤」伝説についてのエントリが増えました。

「10万人の宮崎勤」におけるTV局の現場不在証明

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100731/1280595764

の記事中で、id:hokke-ookamiさんは宮崎勤が幼女殺害を自供したのが8月10日で、

1989年の夏コミが開催されたのが8月13日、14日であったことから、宮崎勤事件と関連させて

マスコミが乗りこむ可能性は低いのではないかと仮説を立てています。しかし、id:y_arimさんは

別冊宝島104 おたくの本』(1989年 宝島社刊)中の米澤嘉博氏の発言、

 TRCでの三回の開催の後、また晴海に移ったコミケットは、三館を使用し、二日間開催という、巨大なものに脹れあがっていた。八九年夏のコミケット36には一万サークル、十二万人近い参加者が集まったのである。――しかし、そこには好奇の目を持ったマスコミ、テレビ局が次々と押しかけた。その三日前に、幼女誘拐殺人の容疑者宮崎が捕まり、彼がアニメファンであったことにマスコミは飛びついたのだ。
 
 テレビ局の取材の最後にはつねにこうつけ加えた。
 
「何が宮崎を作ったかと、強いていうならば、それはテレビでしょう」と。

という言葉を引用して、反論しました。

その事実からすると、宮崎勤事件と関連してコミケに乗りこんだマスコミがいたのは事実

ただし、米澤氏がマスコミの取材を受けているにも関わらず、

「ここに十万人の宮崎がいると書いたマスコミもあった。」がどのメディアか明言していません。

伝説で言われているような「ここに十万人の宮崎勤がいます」と会場内でレポーターが発言したのであれば、

どのテレビ局がとか、あるいはレポーターは誰だとかという話が伝わるはずです。

ましてや、東海林のり子氏のような有名レポーターならなおさらです。

騒ぎにならない方がおかしい。と思うのです。


Youtubeで見たとの証言が紹介されていますが、ならそのURLを教えてほしいと思いました。

Youtubeニコニコ動画の場合は削除されても痕跡は残ります*1し、

政治関連の動画が消されても消されても何度でもアップし直されているのと同様に、

アップされなおされたり、複数の動画サイトに投稿されたりすると思うのですがね…

そういうことを考えると、「十万人の宮崎勤」発言は都市伝説であると、

今の段階では断定的に結論を出さざるを得ないと思います。

その記事のコメント欄には、

1989年に漫画アクション誌で発表された「シャッター」という漫画(作画:はやせ淳)に、コミケと思われるオタクイベントに参加した主人公の一人が、それを宮崎勤の大群であるかのように表現し、他の登場人物もそれに同調するというエピソードがあります。この漫画は決して影響力のある作品ではありませんし、いわゆる「俗流若者論」べったりの作品ですから、先行して同様の認識が何らかのメディアに発表されたものと思われます。

との情報もあり、新たに検証の材料になりうるでしょう。



さて、hokke-ookamiさんの記事を受けて、その記事の元ネタとなる記事を書いたid:Moominwalkさんが

「10万人の宮崎勤コミケを悪者にしたのは誰だ?

http://d.hatena.ne.jp/Moominwalk/20100801/p1

中で、コミケ参加者=宮崎予備軍とみなす記事や発言が1989年8月時点で果たして存在するのか

探してみようということで、いくつか記事を紹介していました。

8月16日の毎日新聞コミケ宮崎勤を関連付ける記事では「コミケ参加者=宮崎予備軍」的な

内容は確認できないが、8月20日毎日新聞で「コミケ参加者=宮崎予備軍」とする内容があったことを

紹介しています。そしてMoominwalkさんは、少なくとも他の大手紙各紙にはコミケという言葉自体

存在しなかったようだ、よって、

「あくまでコミケ悪者説、オタク変態説の嚆矢ともいえる毎日新聞のこの記事だけが異質で、突出している」

とし、「10万人の宮崎勤」発言は

「上記の毎日新聞記事のようなあからさまなコミケ参加者=宮崎予備軍といったトーンの記事を意味する暗喩なのかもしれない。」

と見なしているようです。


また、id:enjokosaiさんは

2ちゃんねる『「10万人の宮崎勤」放送を覚えてるヤツ集まれ』より

http://d.hatena.ne.jp/enjokosai/20100801/p1

と題して、2ちゃんねる同人板のスレッドでの「十万人の宮崎勤」発言の「証言」を紹介しました。

筑紫哲也の番組だったとか、リアルタイムで観てびっくりしたとか、

宮崎勤の予備軍とかオタクは第二、第三の宮崎勤って言い方は各局各番組で平気で言ってたとか、

いろいろな証言がありますが、検証可能性が低い内容ばかりで、2ちゃんのスレは当てにできそうにありません。




そんな中、随分前に削除されていた、私の記事の元ネタになった

どこに10万人の宮崎勤がいたのか?

http://www.jarchive.org/journal/2008/07/miyazaki10.html

が見られるようになっていたので、また紹介します。

2年前に取り上げた時には抜き出して載せなかったのですが、この記事には

別冊宝島358 私をコミケにつれてって!』(1998年 宝島社刊)の中に、

●にしかた公一(マンガ防衛同盟共同代表)による「コミケ世界と一般社会とのアツレキ」文中に以下。

しかし八九年に連続幼女誘拐殺人事件が発生し、逮捕されたM容疑者がいわゆる「オタク」であったこと、コミケットにも参加していたことなどが報道され、状況は変わっていく。このときのマスコミ各社による報道は悪意に満ちた無神経なものだった。コミケット会場を前に「ここに十万人のM容疑者(実名)がいます」と叫んだリポーターもいたそうで、参加者にマスメディアへの強烈な不信感が生まれることとなった。


筆谷芳行コミックマーケットカタログの編集者)インタビューにて以下の会話。

──宮崎事件は、コミケにもある種の影を落としたんでしょうか?

筆谷 ありましたよ。マスコミでの紹介のされ方が、気持ち悪い部分しかやらないじゃないですか。純粋な思いでマンガを描いてるとかは、一切報道しないし。だから、参加者十何万人が、みんな宮崎予備軍のように言われたりしましたね

(太字は引用者による) 

と書かれています。これをもって私は

「「10万人の宮崎勤」伝説がコミケの幹部スタッフに(事実として)信じられている」と書いたわけです。

1998年には既にあやふやな伝聞状態になっているので、これより後のものを調べても意味がなさげ。ということで後は『贖罪のアナグラム 宮崎勤の世界』(1990年3月2日)を参考にすると、正確な時期が不明だが当時の『文春』*2に掲載された「ロリコン五万人戦慄の実体・貴方の娘は大丈夫か?」という記事に以下。
 

「いきなり宮崎みたいなレベルまで突っ走るのは特殊な例にしても、『宮崎予備軍』は相当数いるでしょう。いわゆる『オタク』といわれている連中がそうです。『オタク』が生まれる事情を知ることが、宮崎を知る近道だと思いますよ」(ロリコン事情に詳しい大学講師・酒田浩氏)
『オタク』族。今回の事件で急に有名になり、大新聞までが訳知り顔で書き立てているが、その描く素顔は様々で統一されていない。
「新聞だけを読んだ多くの人は『アニメやホラー映画にのめり込む孤独な青年』といったイメージを持つでしょうが、それだけなら全国に何百万人もいるはずです。
その中でも本当のオタクは宮崎を含めて一握り。彼らはネクラな割に、自分の趣味を満足させる部分では異常なほどアクティブなんです。一番いい例が、コミケットに来るオタクたちですよ」(酒井氏)

 
ロリコン事情に詳しい酒井氏、というのも気になるが次。『新潮45』1989年10月号掲載の長谷邦夫「私は見た「恐怖の漫画市場」」に以下。

幼女誘拐殺人者の宮崎勤が、今年三月のコミケットに「E・T・C大腕」のサークル名で参加していたことが判明した。腕が不自由な彼が「大腕」とつけたところが意味ありげだが、イラストレーションを見ると、「マンモスコング・月光仮面」と題された、実に幼児性丸出しのつたない落書きでしかない。彼はビデオ・マニアのグループからも独善的性格を嫌われて排除されてしまう程の、孤独な屈折者であった。コミケットの群の中には、同じように孤独を抱えた若者がいるのかもしれない。不気味さがますますわいてくる。

 

ちなみに、Googleで検索しても酒井浩氏が何物かは全く見当が付かなかったです。

89年に大学講師なら、今はすでに教授になっていても不思議ではないのですが…

というわけで、この酒井浩なる人物が何物かは謎のままです…



さて、この件について検証するにあたって、

雑誌記事を調べるのであれば国会図書館よりも、八幡山にある大宅壮一文庫の方が便利かもしれません。

記事目録もあります。大宅文庫が所蔵している雑誌の記事を人名と件名でまとめたものです。

http://www.oya-bunko.or.jp/taikei.htm によると、大カテゴリに心中・自殺や、奇人変人などもあります。

中小カテゴリにも変わった項目がたくさんあります。なお、漫画は大カテゴリ芸能・芸術に分類されています。

泉麻人氏がB級ニュースを探すために使ったそうです。

小カテゴリには、幼女連続誘拐殺人事件もあり、このカテゴリを見れば

宮崎勤コミケを関連付ける雑誌記事が見つかるかもしれません。


1995年以前のものは冊子として、それ以降のものはCD-ROMとして出されています。

目録であれば、大学図書館などの大きな図書館に行けばあるかもしれません。

事実、私が行っていた大学の図書館には大宅文庫の目録があって、それを元に卒論のネタを探しました。



それにしても、テレビで「十万人の宮崎勤」とレポーターが叫んだのは事実だろうか?

何月何日の何という番組かも不明ですし、現場で叫んだら目立つはずですし、

動画サイトにアップされたなら痕跡が必ず複数残るはずですし、キャプチャーされた画像も出てくるはずです。

そういった客観的な状況証拠の存在が確認できないことから、少なくとも今の段階では

都市伝説であるとせざるを得ないと思います。

おそらくは、興味本位の報道やバッシング報道についての話が変化して、

言われるような「十万人の宮崎勤」になったものかと思います。

「十万人の中の宮崎勤」という文言はすでに事実としてありますからね…




コミケの情報については当時のカタログにも残っているはずですし、

米澤嘉博図書館に行けば、当時のカタログが見られるのではないかと思うのですが…

*1:ニコニコの方が痕跡がはっきり残る

*2:引用者注:「週刊文春」と思われるが、月刊誌の「文藝春秋」の可能性もあり。